「はじめに」
社会の規律は、法と倫理により保たれています。
法と倫理は、国家権力による強制力の有無に違いがあるものの、その存在意義は同一です。
それは、自然状態では思想や価値観、行動パターンが一律ではない人々の行動に一定の規則性をもたせることにより、社会を統制することです。
今回は、新しい社会の規律を創造するために必要となる法と倫理の知識について記載します。
「社会規律における法と倫理の特徴」
法と倫理により社会の規律は維持されていますが、法と倫理には下記のような特徴があります。
第一の特徴としては、
法は明文化されていますが、倫理は明文化されていない場合があります。
法は、宗教、または、為政者により社会に一定の方向性を与えるために定めたものである以上、必ず、明文化されています。
倫理は、宗教、為政者が、公的教育、広報活動を通じて、人々に広めるために明文化しているものに加え、家族や社会コミュニティーの伝統的な慣習により共有されているもの、ある制度が施行された後に人々の間で為政者が意図せずに自然に発生するものが存在します。
新しい社会規律をつくる場合には、法の文面の理解に加えて、人々の間に空気のように漂っている倫理を理解する必要があります。
第二の特徴としては、
法は、規則や罰則を設けるときは、是非の境界は明確にする必要がある一方で、倫理は、理念的なものであり、是非の境界は曖昧であることです。
法単独による統制は、法に記載がなければ、社会を統制する上で不適当な行為をしてよいとの考えを人々に抱かせてしまいます。
倫理は、その行動の是非の基準となりえますが、境界は曖昧なため、倫理による統制は、社会的に不適当と考えられる一連の行為を抑制する事を可能とします。
上記から、法は社会規律の根幹を形成し、倫理はその周辺の行動規律を統制するものと言えます。
第三の特徴としては、
法は外的な強制力により、人々を従わせるものである一方、倫理は、人々の行動に自制を促す、内省的なものです。
人々の行動変容を促す場合には、法による強制は人々の自尊心を損なう可能性がある一方で、倫理による行動変容は自尊心を高めることを可能とします。
第四の特徴としては、
法を執行するためには、警察等の権限を委譲した組織により行う必要がありますが、倫理の尊守については、人々の間で相互に行うことが可能です。
以上の点が、法と倫理の特徴です。
社会の規律整備のためには、法により最低限の守るべき境界を設定したのち、実際の行動統制は、その外側にある倫理により行うのが好ましいでしょう。
「法と倫理の分類について」
法と倫理のような規則は、次の3種類に大別されます。
第一は、人間の生来の生物学的な特性に沿う規則
第二は、自然状態に存在しない社会事項について定めた規則
第三は、人間の生物学的な特性と一致しないが、社会を一定方向に進ませるために定める規則 です。
第一については、
群れをなす動物を観察すると、先天的に有する一定の規律に従って生活していることが分かります。例えば、軽度の空腹では共食いしない、同種同士の闘争では殺傷しないなどがあります。
これらの規則は、動物が集団行動をする上で生存に有利に働くように進化の過程上で習得した本能的な規律といえます。
この規律は、動物である人間にも存在し、これに沿う規則は、一般通念と異なっていても、人々に抵抗なく受け入れられる特徴をもちます。
(例:法的には平等であるが、高齢者より子供を優先する場合など。)
第二については、
速度規制などの交通や建設の規則などが例として挙げられます。
この規則は、自然界には存在しておらず、人々は教育を通じて習得する必要があります。
ただし、理解しておくべきことに、土地の権利など自然には存在していないように見えても、本能的な縄張り意識、先取権などが関与している場合があることに留意する必要があります。
第三については、
男女平等が例として挙げられます。
男性・女性は、生来より身体構造は異なり、価値観や行動様式に違いが存在します。また、生殖活動における役割が異なるため、社会における役割も異なるのが本来、自然です。
自然状態に反する規則は、人々は教育を通じて習得しなくてはなりません。
これらの規則は、理想として掲げる段階では大きな問題は生じませんが、社会にこの規律が浸透し、あまりに自然状態とかけ離れてしまうと、人間が生理的にストレスなく過ごせる自然状態から著しく外れてしまい、本能と理性との乖離が生じ、激しいストレスが生じます。
(例:ドイツでは自由・平等・友愛を金科玉条として、程度を考慮せず、移民を受け入れ過ぎた結果、人々の中に不満が生じています。)
「法と倫理の普及について」
人々は社会の規律である法や倫理を、①から⑤を通じて習得します。
① 家族、友人、会社のコミュニティーにおける対人関係
② 学校教育の課程
③ 政府による広報活動
④ 自学自習
⑤ 警察などの公的機関による指導や受刑
人々は、自身の行動規範を周囲の人の行動を参考とし学習する性質をもつため、影響力は、①から④の順となります。
また、ほとんどの人々は、法律を勉強する機会はなく、コミュニティーや学校教育の課程を通じて、望ましいとされる行動規範を習得します。
この事は、①のコミュニティーの行動規範に問題が生じた場合、その規範が次世代や関係者に波及することを意味します。所属コミュニティーにおける行動規範の影響力は大きいため、学校教育課程や公的機関による指導等には、ある程度の強制力が必要となります。
「過度の自由は倫理を崩壊させる。」
これまで、社会の規律には、法と倫理が必要と記してきましたが、社会の規律を破壊する方法も存在します。
日本国憲法は、戦勝国が敗戦国の国力を削ぐために制定したものです。
日本国憲法では、国民の多様な自由が保障されており、一見良い事のように思われます。しかし、どのような制度にも長所と短所は存在しており、自由の代償としては、長期的には倫理が侵食され、社会規律を毀損させる作用があることが挙げられます。
理由としては、ある個人が、法律では規制されていない、倫理的に問題となる行動を、憲法で保障されている自由を大義名分として堂々と行った場合、第3者はその事を認めざるを得ない点にあります。最初は、軽度の逸脱ですが、繰り返されると、徐々に逸脱が大きくなり、社会規律は毀損されます。
(例:電車内での法律違反のないマナーの悪さを第三者は注意できない。)
また、倫理の毀損は反社会的な行動を増長しますが、問題の発生に対しては、次から次へと法により強制しつづける必要があるでしょう。
この事を防ぐためには、憲法自体を変更するか、政府は、法による規制とは別に、世の中の物事の倫理的な是非について定める必要があります。
「まとめ」
社会の規律には、法による強制と、倫理による教導が必要です。
法による強制は自尊心を毀損し、倫理による内省は、自尊心を高めます。
自然の法理に従わない法・倫理を過度に適応すると破綻します。
行動規範の習得は、所属コミュニティーにおいて行われますが、コミュニティーの行動規範に問題がある場合は、学校教育課程を通じて行う必要があります。
過度の自由は倫理を毀損し、社会規律を破壊します。
為政者は、法とは別に、倫理的に何が正しいのかを決める必要があります。